「いらないもの」を作っている?

 私たちは、つい「オリジナルの教材が一番いい」などと考えがちです。日本語の先生は、基本的に手作り好きのようです。

 例えば、ひらがなやカタカナを教えるのに、絵カードを一生懸命手作りしたりする先生をよく見かけます。なぜそのようなカードを作るのでしょうか?「心がこもっているから」「味があるから」・・・日本語の教師は、クラフトワークの先生ではありません。

 リソースのページのリストにも挙げたように、世の中にはすでに優れた教材や教具がたくさんあります。それを共有し、手間を省いて、その間に学習者の学習に関するカウンセリングをしたり、授業の進め方について考えたりしたら、もっと有意義な時間になるのではないでしょうか。

 手作りの教材で満足するのは、きっと学生ではなく教師です。あるいは、教師本人ではなく、「教材づくりは修行」というような信念、ないしは信仰が、語学教育の実施者にはあるのかもしれません。このような事件は、「教材信仰」が病理的に発展したものかもしれないと思います。

 ここでは「いらないもの」と題していますが、これはつまり、同じことがデジタルの世界でも起きているからです。すでにお気づきのように、ウェブサイトを検索してみると(例えば「漢字学習」とか)、漢字教材のサイトが山ほど見つかります。「共有」という点では、確かにこれもいいことかもしれません。

 しかし、それらWeb サービスの多くが、同じような仕組みでできていたりすると、がっかりしてしまいます。みんな「すでにあるもの」を、あたかも新たな発明のように作っているのです。つまり「私が車輪を発明した」と主張する人を、誰も信用しないのと同じです。

 デジタル教材をつくろうとするなら、まず世の中にどんな教材があるのか、くまなく調べることが必要です。その過程で、しばしば自分のアイデアが陳腐であったことに気付かされると思います。もし、適当なものがあれば、それを使う。そして余った時間を有効に使いましょう。